May 20, 2015

批評性、文学性を超えて   「私の少女」



 ペ・ドゥナのたたずまいが冒頭から今までの作品と微妙に違っていたのを感じます。「ほえる犬は噛まない」の破天荒な少女とも違うし、「空気人形」の無機質さとも、「グエムル」の強さとも、「クラウド・アトラス」のなかば神々しさとも。すごく美しくて、ヨスの夜の海辺の風景に溶け込むように、どこを切り取っても絵になると感動していました。そしてなにより、どうしようもない寂寥を抱えていている。

 女性監督チョン・ジュリ、名監督イ・チャンドンがプロデュースした「私の少女」(2014)。ペ・ドゥナがある事情のためにソウルからヨス近郊の村に飛ばされた派出所署長(警視)ヨンナムを、その村で出会い、家族からも同級生からも暴力やいじめを受けている少女を「冬の小鳥」でデビューしたキム・セロンが演じ、そこに漁村の人々、ソウル中央の警察官僚らがからみ、物語はスリリングに展開していきます。

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 ヨンナムがどんな不祥事を起こしたか明確には最初分かりませんが、上司への挨拶のシーンで彼の言葉からだいたい察しがつき、やがて核心部分が描かれます。もう後半は、カッターで胸の芯を切りつけられる思いでつらく、悲しくなってきます。キム・セロンの演技がペ・ドゥナとの関係の中で奥行きを増していきます。

 さすがイ・チャンドン氏プロデュース作品。強烈な社会性(現代韓国社会への静かだけれどぐっと刺し込まれる批評性)と、あふれる文学性にショックを受けると同時に、喝采を送りたいし、胸にそっと、大切にしまっておきたくもある。きのう書いた「国際市場で逢いましょう」のような涙、涙の展開とは異なる、脳に響き、胸に後から迫る作品です。「サンドリロン」なんて観てる場合じゃないよ。ほんとに。



reversible_cogit at 23:27│Comments(0)TrackBack(0)映画 | 政治経済

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