March 25, 2015

「生きた証」を読む  『拝み屋郷内 花嫁の家』



 いま、2度目の読み進めをしています『拝み屋郷内 花嫁の家』。宮城県で「拝み屋」を生業とされている“視える”郷内心瞳(ごうない・しんどう)さんが、ご自身の体験のなかでも稀に見る一連の出来事を綴られています。ばらばらと思えた数十年年にわたる事象が一本の禍々しい糸でつながっていると知ったとき、われわれ読者も震え、いまだにこうした実態が存在しているのだと、江戸時代ではなく、平成の世にもあるのだと衝撃を受けるのです。

 血にまつわる呪い。封建的な家制度といったものではありません。「神殺し」という、まさに発端が発端だけに呪いというほかありません。同時に、それだけではないことも今思えばあるのです。こうした実話を読むときに、横溝正史がつむぐ物語に説得力が増し、東野圭吾が書く小説がたんなる血の通わないフィクションだとよくよく分かります。たとえば横溝映画は40年を超えて観る者を魅了しますが、東野映画の賞味期限はすぐに切れるでしょう。

 翻って『花嫁の家』。最初に読んだときはその実話がもつエネルギーにただただ圧倒され、中山一朗『なまなりさん』以来で読んだ長編怪談実話だと噛み締めた。しかし今、改めて読みながら思うのは、この実話の登場人物たちの多くが意に反して亡くなっていることを思うのです。たしかに自分のような凡人とは違う人生観はあったであろけれど、それでも懸命に生きる姿が刻まれています。

 それは郷内さんの思いそのものだと考えます。彼が命を賭して関わった人々の物語。彼との関係に濃淡はあれど、その人々の「生きた証」の一部、しかし確かな一部を自分は読んでいるのだと感じてなりません。この世界は広く、重層的。一般的な認識など底が浅い。それは科学的な分野でもそうであるし、超自然の世界も等しく同じなのです。それを再認識できる一冊です。


 追記:1度目読了のあとに同氏『花嫁』前作である『怪談始末』を読みました。これも珠玉の作品といっていいでしょう。もちろん実話。そして、いきなり話は変わりますが文章がうまいだけでなく誤植がほぼない。こうした作品はタイトなスケジュールで作られる傾向があるのか、誤植が多いのが玉に瑕だったのですが、郷内作品はほぼゼロ。すごいことです。すっきり読めます。


拝み屋郷内 花嫁の家 (文庫ダ・ヴィンチ)
郷内 心瞳
KADOKAWA/メディアファクトリー
2014-09-24



拝み屋郷内 怪談始末 (MF文庫ダ・ヴィンチ)
郷内心瞳
KADOKAWA/メディアファクトリー
2014-05-22




reversible_cogit at 22:43│Comments(0)TrackBack(0)ドキュメント | 書籍

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