February 2015

February 26, 2015

「アメリカン・スイナパー」と憲法9条



 職場の方に勧められて観た「アメリカン・スナイパー」は、映画の中で言及される「人間には3種類いる。羊、狼、牧羊犬」でいうところの「羊」である自分にとって、この作品はただただ虚しく、日本はこの道を歩まなくてほんとうによかった、というものです。

 作品では米国益を守るという名目の下、イラク国土を米軍が戦場として闊歩し、蹂躙し、イラク国民は対米地元組織と米軍の戦闘に巻き込まれいとも簡単に殺されてしまいます。米軍は作戦遂行のためには一般住居に押し入り、銃で威嚇し、ときには殺し、そこを戦場としています。

 結局、200人近い人々を射殺した元“アメリカン・スナイパー”は、イラク戦争帰りでPTSDになった元兵士に米国内で殺されます(これも事実)。ほんとうの敵はうちなる敵、国民の敵は米国内にいるのだとこの事実が象徴しているのではないでしょうか。イラク戦争っていったいなんだ。

 自民党は性懲りもなく憲法9条改正を主張していますが、もし日本に9条がなければこの虚しい戦いに日本は巻き込まれ、イラクの国土で無辜のイラク国民を殺していたかもしれないのです。同時に、日本の兵士たちも当然、駒として次々殺されていたでしょう。

 この作品を観たなら、まさに劇中で戦場として登場したファルージャでの高遠菜穂子さんらの医療活動などを追った伊藤めぐみ監督「ファルージャ」を観て欲しいです。「アメリカン〜」をサスペンス・アクションの一種として観るのは、大きく誤っている、ということです。




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February 07, 2015

シドニーへ行きたかった


 
 昨年は初めて初サッカー観戦となる、F.C.TOKYOの試合を観に味スタへ行きましたが、もう3〜4年前から韓国代表・キ・ソンヨン選手(スウォンジー・シティーAFC)のファンです。素人の自分が観ていてもプレーがおもしろい。聞き取りやすい英語を話してくれます。

 そんなキ選手が、アジア杯で主将を初めて務め、55年ぶりの韓国アジア杯優勝をかけて先日、シドニーで開催国オーストラリアと戦い、惜敗しました。NHKBS1で試合は録画したのですが、報道機関の職場ではいやでも趨勢は伝わってきて、その惜しい負けぶりが残念すぎて観られません。

 シドニーにいって応援したかった。それが無理なら新大久保で韓国の皆さんと一緒に応援したかった。また次の機会の楽しみにとっておきます。「テ、ハミング!」(大韓民国)と一緒に応援したいです。まぜてもらえるかな。

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February 06, 2015

いまさら「小中理論」  Eテレ・岩井俊二「MOVIEラボ」ホラー編&中田秀夫監督「女優霊」



 いまEテレで、岩井俊二監督が主宰の体裁をとって「MOVIEラボ」というシリーズが放送されています。毎回「恋愛映画」「ドラマ」といったテーマに沿ってゲストが語り、代表的な映画のシーンを検証していくのです。そして#4として特集されたのが「ホラー映画」。自分が映画好きということを知っている整骨院の先生(20代、女性)から教えてもらい#3から見始めたので、もう素晴らしいタイミングでした。

 そして何より衝撃的だったのは、紹介された小中理論。手がけた作品を自分も多く見ている脚本家・小中千昭さんが提唱するホラー映画制作にかかわる、「ファンダメンタル・ホラー」(根源的恐怖)を生み出す方法論。代表的なルールは、▼恐怖とは段取りである。▼幽霊はしゃべらない。▼恐怖する人間の描写こそ恐怖そのもの。などだそう。そして映像の表現として心霊写真のように輪郭のない、見えそうで見えない存在こそが恐ろしい、と。

 自分の不勉強をただただ恥じるばかりです。番組内でいの一番で紹介された中田秀夫監督、高橋洋脚本「女優霊」(1996)は大好きでDVDも持っているのに、こうした肝心なことを知らなかったのです。そう、常々おもっていたのは、Jホラーにおけるあるべき幽霊表現は墨画のような滲んだ存在であり、稲川淳二さんも強調されるのはほんものの心霊写真ははっきり写らず、特徴があると。つまり、小中理論そのものなのだと改めて気付きました。黒沢清監督の「叫」や「回路」を観れば明らか。

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 何度目かの「女優霊」を観てしまいましたよ。そして、やはり何度観てもこわい。すごいことです。自分が一番好きなシーンは、劇中劇として映画撮影が進行していて、そこに主演女優と移籍問題でもめている根岸季衣さん演じる社長がスタジオに乗り込んでくるのですが、一歩撮影現場に入るなり硬直。白島靖代さん演じる女優が出てくるとその背後に目をむいて、「なんの撮影をしてるの…」と震えながらいって、バッグからお守りを取り出して彼女に握らせ、逃げるようにスタジオを去るのです。

 「恐怖とは段取り」であり「恐怖する人間の描写こそ恐怖そのもの」。けんか腰だった社長がスタジオの異様さを感じ取り、あまつさえ主演女優になにかが取り憑いているのを視てしまい目をむいて恐怖し、逃げ帰る。根岸さんの演技でこれすべてが描写され、どれだけ事態が恐ろしいことになっているのか観客も知るのです。視える人が視ればとんでもない、と。恐怖とは知的冒険です(ただし視えない人に限る)。ぜひ皆さんも「女優霊」、ご覧になって体感してください。



February 05, 2015

なぜこんなにも惹かれるのか  「ALDNOAH.ZERO」、齋藤陽道作品



 物語に力があると途中からでも楽しめる、否、それ以上にのめり込めるのだと初めて知りました。ソニーのBD録画デッキは使用者の録画履歴を分析し、好みに合わせた番組を自動で録画してくれるのですが、そのおかげで第1シーズンを無視していた「アルノドア・ゼロ」のダイジェスト版を見ることができ、子細は認識できないものの、物語の軸を知り、言い知れぬ魅力を感じて第2シーズンを見ています。

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 地球と火星に別れた人類が、もはや地球人、火星人と自らを呼称し、アイデンティティーをもって生きている。第1シーズンではその和平と反目のシーソーが描かれたようですが、第2シーズンでは完全に対決モード。そこで両陣営にそれぞれ属した2人少年の戦いを中心に描かれます。要素を拾っていくと「コードギアス 反逆のルルーシュ」に似ているのですが、それに気づいたとしても、虚淵玄ストーリーの力はすごく(台詞がすごい)、宇宙が舞台でも演劇化も可能な強度があると信じます。

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 もう、OPを見るだけで目頭が熱くなります。それぞれが、それぞれの思いを、十字架を背負って生きている。自分が放棄した生き方です。彼らになぜそんなに惹かれるのかと思ったとき、芯をもっていきることとはこういうことなのか、だから惹かれるのか、と。自分には芯がないから。たとえ天が堕ちようとも、正義を成そう――。「ALDNOAH.ZERO」のタイトル下に英文で書かれたこの文言の意味を噛み締めます。

 2月2日にEテレで放送されたハートネットTV「ブレイクスルー」に写真家・齋藤陽道さんが登場して、ある経験を通して自分の写真には「芯」ができた、と話されていてやはりそうか、と思いました。いままで齋藤さんについては作品もこの部屋にありますし、お話しもしましたし、いろいろ書いて来ました。しかしそうしたご本人の口からそうした言葉が聞け、自分が齋藤さんの作品に惹かれる理由の大きな一つがそれかと改めて示唆してもらった気がします。ほんものの「感動」はアニメ、写真、ジャンルを問いません。



February 04, 2015

それぞれの「さよなら」ができるまで  廣木隆一監督「さようなら歌舞伎町」



 昨年下旬、鶴瓶さん司会の番組ゲストで染谷将太さんが出演していました。そのとき鶴瓶さんが染谷さんが映画を撮影している現場にたまたま出くわした、という話しがあり、その作品が「さよなら歌舞伎町」というタイトルだったのです。初耳だったのですがすぐそのあと、映画館で前田敦子さんと染谷さんがツーショットの写真がメインのフライヤーを見つけ、喜々として家に張ったのでした。しかしネタばれは嫌だったので読まずに。

 そしてやっと今週月曜、テアトル新宿で廣木隆一監督「さようなら歌舞伎町」を鑑賞。廣木作品は「800 TWO LAP RUNNERS」(1994)から何作品か観ていますが、「やわらかい生活」(2006)が一番好きでした。しかし本作、「やわらかい生活」とはまた違う群像劇でぐいぐいと物語に引っ張り込まれました。数組の男女カップルが登場するのですが、冒頭からあまりお金のなさそうな2人(染谷、前田)が首都高4号新宿線を見下ろす、代々木近辺のマンションに住んでいて「うらやましい!」と思っていました(笑) 自分が約15年住む明大前もいいですが、あそこら辺りは緑もあるしで住んでみたい地の一つです。また韓国からの出稼ぎカップル(イ・ウヌ、ロイ)は新大久保のドン・キが見えるマンションに住んでいるし。やはりイイ!と。そして、会話から数分で逃亡犯カップル(南果歩、松重豊)と分かる2人は、こうした情報が一切入ってこないカーテンを閉め切った部屋で時効あと1日ちょっと、というところまできている。展開には、ほか何組もが絡みます。


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テアトル新宿にて


 そして軸になるのが歌舞伎町のラブホテル。染谷演じる徹が店長をしています。彼はミュージシャンとしてデビュー寸前の彼女、前田演じる沙耶に専門学校の授業料を借りて卒業したものの、一流ホテルの就職に失敗し、自分では納得できずにその職に就いている。恥ずかしいくらい「自分はここにいる人間じゃない」なんて口に出して言ってしまうのです。そんな彼のラブホで清掃もろもろの係として南さん演じる鈴木里美が働いているし、同居の彼には内緒でイ・ウヌ演じるヘナがデリヘル嬢として出入りしていて…。自分は、群像劇といえば「グランド・ホテル」といわれるほど有名な名作を観ていないのですが、おそらくまったく社会階層が別の、それもいろいろ背負った人々にとっての「グランド・ホテル」が本作の舞台、「アトラス」なのだと想像します。

 単なる甘い恋愛映画とは一線を画します。郡山出身の監督の思いもあるのでしょう。徹の出身地は塩釜で、震災の爪あとは彼の両親や妹の人生を大きく変えていました。震災復興の現実、欺瞞。またヘナが歩く新大久保の駅前では、ヘイトスピーチが行われています。こうした今の日本をくっきりとフィルムに残すことは、ほんとうに大切なことと考えます。とくに自分は新大久保が大好きだし、韓国映画やK-POPは今や自分の人生の大きな糧であると同時に消費していることは紛れもない事実です。そうした自分にとっても、考えるところがある作品でありました。そしてエンディング、登場したみんなそれぞれの「さような歌舞伎町」が待っています。その感動は、いまも胸の中に熱くあります。さよならできるって、すごいことなんですよね。


 追記。南果歩さんが在日の方だと知ったのはほんの数年前でした。最初に素敵だなぁと思ったのは黒木和雄監督「TOMORROW 明日」(1988)という長崎原爆が投下される前24時間の、市井の一家を中心とする生活を描いたものでした。原爆をテーマにした映画の中で一番好きです。そして一瀬隆重監督「帝都大戦」(1989)です。将門さまの怒りを抑えられる力をもった血筋を引いた雪子を演じ、ほんとうに可憐で強くて、美しかった。そして究めつけはNHKドラマ「清左衛門残日録」(1993)。仲代達矢演じる隠居した武士の家の若いお嫁さん里江を演じた南さんのチャーミングさは類まれでした。そして今、在日であることを明かされ、オモニ役も演じ、「さよなら」のような愛情深く、強い女性を演じます。南さんの演技だけでも、見る価値ある作品だと確信します。



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